プロフィール
渡辺創(わたなべ そう)
- 宮崎県宮崎市出身
- てんびん座のAB型
- 新聞記者時代のニックネームは「わたそう(watasou)」
【宮崎時代】(誕生から高校卒業まで)
- 昭和52年10月、宮崎市東大宮生まれ。
- 市立東大宮小、市立東大宮中を卒業。
ソフトボールに明け暮れた小学校時代、
上手なチームメートのおかげで九州大会にも出場しました。
中学校時代は、生徒会長で男子バスケット部の副キャプテン。
伸びやかに育ちました。
- 県立宮崎北高校を1年生途中で中退。
きっかけは腰のけがでした。
痛みで通学が難しいこともあり、悩んだ末に進路変更。
単位制の宮崎東高校昼間部に再入学しました。
2度の手術と数回の入院を経て、腰も回復。
自分の歩みを取り戻した、合計4年間の高校生活でした。
【新潟時代】(大学)
- 平成9年4月、新潟大学法学部入学。政治学を専攻。
- 大学生の生態や若者事情を新聞連載するサークルを立ち上げ、
卒業時には連載をまとめた本を出版。軟式野球チームでも活躍。
「(相手投手に)スラッガーと勘違いさせ、四球を狙うこと」(仲間談)が
チームへの最大の貢献との話も。本当に充実した学生生活でした。
- 当時、新潟県にあった113自治体をすべて歩き、
宮崎とまったく違った雪国の四季を体感。
自分の足で歩き、自分の目で現場を見る“行動派”の原点になりました。
- 平成13年3月、同大卒業
【横浜時代】(毎日新聞入社)
- 平成13年4月、毎日新聞社入社。横浜支局配属。
- 5年間の支局生活のうち約4年間は、神奈川県警記者クラブに所属し、
どっぷり事件取材の日々でした。
1年強は横浜市政の担当。中田宏市長(当時)の市政改革のほか、
米軍住宅の建設問題、ライフワークになった教育問題の取材に駆け回りました。
- 入社3年目の春に大学後輩の妻と結婚。長女は横浜市で生まれました。
【東京時代】(毎日新聞政治部)
- 平成18年4月、毎日新聞東京本社編集局政治部配属。
- 首相官邸(総理番、少子化問題、教育再生担当)、
自民党(幹事長番)両クラブを経て、民主党担当に。
小沢一郎代表や藤井裕久最高顧問、赤松広隆選対委員長、
奥村展三総務委員長らを取材しました。
民主党担当時代は、選挙担当として日本中を行脚。
1年の三分の一は全国各地を歩き、日本社会の実像を見つめてきました。
- 長男は東京で誕生。土日もない生活でしたが、たまの休日は、
家族で動物園や水族館をめぐるのが楽しみでした。
【宮崎へ帰郷】
- 平成21年12月、政治家を志す決意をし、毎日新聞を退社。ふるさと宮崎に家族4人で帰郷。
- 現在、民主党宮崎県連青年局長、同県連政策会議事務局次長。